ザルツブルク音楽祭 2015:モーツァルト・マチネ

今回最初の演奏会は、モーツァルテウム管弦楽団の「モーツァルト・マチネ」。会場のモーツァルテウムのホールも初めて訪れた。

 
かつてのモーツァルテウム音楽院、今はモーツァルテウム財団の建物に隣接するホールはそれほど目立つ建物ではなく、客数も800席程度。中の装飾は立てられた20世紀初頭の趣味を反映してか、バロックとアールヌーヴォーの折衷様式だという。装飾は金色が多用されているけれど、地の色合いは漆喰の白と黄色(ハプスブルク・イエローということか)なので、随分軽やかな感じがする。マチネなのだから、ウィーンのムジークフェラインの様にカーテンを開けて外光を取り入れたらその色合いがより映えるだろうと思うけれど。
 
因みに、このホールの裏手にはモーツァルトが「魔笛」を作曲したと伝えられている通称「魔笛小屋」がある。シカネーダが自分の興行する劇場の近くに立ててモーツァルトに貸し与えたのだそうだ。ウィーンからザルツブルクへ移築したそうで「本当に本物なの?」と突っ込みたくもなるけれど、何しろモーツァルテウムのお墨付きですからね。ものは本当に「掘っ建小屋」というに相応しい広さ8畳もない様な見すぼらしい小屋。
 
さて肝心の演奏会の方は‥.
 
最初の曲目は、通称「13管」で呼び慣わされている管楽だけのセレナーデ第10番「グラン・パルティータ」。今回の編成はオリジナルといわれる「12管+コントラバス」。
 
四捨五入をすればもう40年前の大学1年の頃、先輩たちがドイツの演奏旅行に用意したプログラムの中にこの曲があって、練習するのを良く聞いていた。映画「アマデウス」の中で、その中の第3楽章が使われて有名になるのはその何年か後のこと。まだ60歳には少し間が有るけれど、そんな風に何かに付けて昔のことに思いを馳せるのは歳を取った証拠ですね。
 
そんな個人的な思い入れをよそに、実際の演奏の方は至って端正だ。後に演奏された40番のシンフォニーもそんな風に感じた。ダイナミクスもそんなに広くないし、アゴーギクもそんなにきつくない。だからと言って、詰まらない演奏というのとは全く逆だけれど。
 
それにしても、木管楽器だけで45分も聞かせるのはやっぱり凄い。セレナーデなんて環境音楽だったんだから、と言ってしまえばそれまでだけど、それにしては音符が一杯あっていろいろやってるから、聞き流すのは難しいよね。
 
グランパルティータと40番の間の中プロは、モーツァルトとグルックのカウンターテナーの為のアリア。歌手のベジュン・メータという人は指揮者のズービン・メータの従兄弟なんだそうだ。
 
9 August 2015, 11:00   Stiftung Mozarteum 
 
MOZART MATINEE 
Ivor Bolton, Conductor 
Bejun Mehta, Countertenor 
Mozarteum Orchestra Salzburg 
 
Program 
WOLFGANG A. MOZART  
Serenade for 12 Wind Instruments and Double Bass in B flat, K. 361, “Gran Partita” 
 
WOLFGANG A. MOZART  
Recitative and Aria (Rondo) “Ombra felice” – “Io ti lascio, e questo addio” for Contralto, K. 255 
CHRISTOPH WILLIBALD GLUCK 
Pensa a serbarmi“, Aria of Ezio from the opera Ezio 
CHRISTOPH WILLIBALD GLUCK 
„Se il fulmine sospendi“, Aria of Ezio from the opera Ezio 
 
WOLFGANG A. MOZART 
Symphony No. 40 in G minor, K. 550

 

 
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再びのザルツブルク音楽祭

今年の夏休みも、再びザルツブルク音楽祭見物。

去年初めて来て、それが思いの外素晴らしくて「せめて一生のうちにもう一度くらいは」と思っていたけれど、そのもう一度を続けて今年にした。

去年はすんなり音楽祭のサイトから直接チケットが取れたので「今年はどうかな?」と冷やかし半分に申し込んだら、また呆気無く取れた。去年はそれでも4人分まとめて申し込んだので、一部申し込んだクラスの席ではなかったけれど(でも演目合計の金額は合わせてあった!)、今回は1人分でもあったせいか、申し込んだまま取れた。抽選の筈だし、業者の音楽祭ツアーでは「売切れ必死」というのが常套句なのだけれど。

今年は昨年より1日滞在を増やして、前後日本との往復を除いて中3日の滞在でオペラが三つと、演奏会が二つ。オペラはどちらも当代の人気歌手の、ヨナス・カウフマンの出る「フィデリオ」とネトレプコの出る「イル・トロヴァトーレ」に、個人的に楽しみにしているのは、昨年「ドン・ジョバンニ」に出ていた主要キャストのうち二人が再び出て来る「フィガロの結婚」。一昨年から続く「ダ・ポンテ三部作」の締め括り。

演奏会の方は、ウィーンフィルや著名なゲスト・オケの演奏会は無いのだけれど、ウィーン・フィルと並ぶ音楽祭のホスト・オケともいうべきモーツァルテウム管弦楽団のおなじみ「モーツァルト・マチネ」を初めてモーツァルテウムのホールで聞ける。プログラムは「13管(今回はオリジナルの12管とコントラバス)」のグランパルティータ・セレナーデと40番の交響曲というなかなか魅力的なプログラム。

もうひとつの演奏会は、指揮者コンクール(そんなものがあるとは知らなかった)のファイナリスト3人が順番で行う最終審査の演奏会の3人目。コンクールというから、並べて一気にやるのかと思ったら、最終審査は一人づつ演奏会を別々に行うという。私が取れたのは、ジリ・ローゼンという23歳のチェコ人の指揮者の演奏会。オーケストラはカメラータ・ザルツブルク。会場は大劇場に隣接する「ザルツブルク大学講堂」。これも今回初めて入る会場。さてスター誕生に立ち会えるか?

昨日ザルツブルクに入って来たが、成田の出発が3時間半の遅れ。フランクフルトの乗換えはギリギリだった。夜の10時過ぎにザルツブルクに着いた時には、夕立の名残りの雨がポツポツ降っていたが、一夜明ければ大快晴。でもそれが問題になって来るのだけれど、その話は後ほど…f:id:butcher59:20150810060556j:image

ザルツブルク: モーツァルテウム~カラヤン生家~もうひとつのモーツァルト・ハウス

ひとつ追加します。

今回でザルツブルクは3回目だったけれど、初めて訪ねた場所が幾つかある。祝祭劇場はその最たるものだけれど、モーツァルテウム、カラヤンの生家、そしてもうひとつのモーツァルト・ハウス、というのも今回の初物。

もっともそれら目当てに探し回った訳でもなく、たまたまホテルから音楽祭(旧市街)へ通う道すがら「そう言えばこの辺にあるみたいですねぇ」と見つけたもの。何しろ、今回同行した先輩ご家族は「あれが見たい、これが見たい」とうるさいことをおっしゃらないのをいいことに、素人ガイドも余り計画性のないもので… 

モーツァルテウムは、有名なミラベル庭園を挟んで新校舎(近代的と言えば聞こえが良いが、通りから見るとコンクリートの箱という感じ)と旧校舎がある。因みにモーツァルテウムは「音楽院」とされることが多いけれど、これも音楽祭と同様、音楽と演劇のコースがあるので、正式名称は「ザルツブルク・モーツァルテウム大学」となっているそうだ。モーツァルテウムのホールも音楽祭の演奏会場のひとつなので、ここでもいつか聴いてみたいもの。

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そして、旧校舎と道路を挟んだはす向かいにカラヤンの生家がある。おそらく100メートルくらいの距離だ。4階建ての建物(今は銀行の支店)は裏(というより表か?)がザルツァハ川に面していて、その向こうに旧市街とホーエンザルツブルク城が望める。隣りはザッハ・ホテルなので、ザルツブルク市街では一等地だろう。但し、4階建て全部がカラヤン家の持ち物という訳ではなく、2階部分(日本式の3階)を持っていたらしい。とは言っても、いわば高級アパート(マンション)のひとつの階を全部所有していたということだろうから、裕福な家庭であったことは確かなんだろうね。建物には「カラヤンの生家」というプレートが掲げられ、ザルツァハ川に面した庭には指揮するカラヤンの立像(ブロンズ像)がある。

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とにかく、カラヤンはそこで生まれて8歳から18歳までモーツァルテウムで学んで(勿論「神童」と呼ばれて)、その後はウィーンで学んでいる。勿論、すごい才能を持った人なのだろうけれど、そういう才能がこういう環境に生まれ育ったというのは、これもまたすごいことだと思う。後年、カラヤンはこの町の夏の音楽祭を今の地位に押し上げたり、新たに復活祭音楽祭や精霊降臨祭音楽祭も始めて、それを商業化の権化の様に揶揄する向きもあったと記憶するけれど、自分の故郷に対する誇りとこだわりは理解出来る様に思う。今回の音楽祭見物では、その恩恵に浴している、としみじみ思ったし。

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◆マカルト小橋から:カラヤンの生家からもほぼ同じ眺め

ところで、カラヤンの生家とザッハ・ホテルの間から「マカルト小橋」という歩行者専用の小さい橋が、旧市街側に渡されている。この橋の欄干には金網が張られて、そこに無数の南京錠が括られている。パリのポンデザール(芸術橋)などでおなじみの「愛の南京錠」というやつらしい。いつの間にこんなのが始まったんだ?

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さて、モーツァルテウムとカラヤンの生家の近所には「モーツァルトの住居(通称:タンツマイスター・ハウス(舞踏教師の家)」というのもある。名前の由来は、大家さんが舞踏教師だったから。有名な旧市街(ゲトライデガッセ)の生家の後に移り住んだという家で、モーツァルトがウィーンに移るまで住んでいたところ。第2次世界大戦の爆撃でかなりやられたのを、1966年に篤志家の寄付を募って(大口には日本の某生保会社というのもある)修復したという。生家にはなかったそこそこ広い「広間」がある。レオポルトお父さんの収入が増えたのか、子供たちの稼ぎも貢献したのか、とにかく前より広いところに移れたらしい。良かったですね。

◆位置関係

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Cafe Sperl にて

ウィーンの最終日、半日は自由行動としたので、最近ウィーンに来るたびに立ち寄るカフェでぼんやり過ごす。

ここCafe Sperlは、マリアヒルファー通りのちょっと裏だが、ミュージアム・クオーターから5分と離れておらず、シュターツオパー(国立歌劇場)にも10分程度の距離。それなのにこのカフェには観光客らしき人間は殆ど見掛けない。旧市街の喧騒は嘘のようだ。

海外旅行に来て、こんなところでぼんやり本を読んでいるのが、一番贅沢だね。

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ウィーン 夏の演奏会

最初の2日間でザルツブルク音楽祭を堪能して、その後はウィーンに移って4泊(正味3日間)もしたが、余りあくせくせず緩い観光を続けた。

夏のウィーンは、観光客でいっぱいだ。いや、本当に。

真夏のウィーンともなればクラシック音楽はいわゆるオフシーズンだけれど、「音楽の都」ウィーンは観光客への音楽のサービスを欠かさない。国立歌劇場、ムジークフェライン、ウィーンフィルが最初の演奏会を開いた王宮のホール、シェーンブルク宮殿、「ばらの騎士」の着想されたというどこぞの元貴族の館、J.シュトラウスの楽団が夜ごとウィンナワルツを奏でたクアサロン、シュテファン寺院にカールス教会、その他由緒正しき諸々の場所で何がしかの団体が何がしかの演奏会を開いている。まぁ、いわゆる肩の凝らないものばかりだけれど。

ということで、折角4泊もするので、どこか冷かしてみますか?という気分で、まず伺ったのが「ウィーン・モーツァルト・オーケストラ」。奏者がバロックのコスチュームに身を包むあのコスプレ・オケ。

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主だった観光スポットで、日本人とおぼしき観光客を見掛けるとこれもコスプレのチケット売りがカタコトの日本語ですり寄って来る。オフシーズンに、国立歌劇場、ムジークフェライン、コンツェルトハウスというみな2000人前後のキャパを持つ会場を巡回する様にコンサートを開いていて、我々がウィーンにいた 週は国立歌劇場が会場の週。我々もウィーンに着いてから、翌日のコンサートの分を街のチケット売りから買った。決して安くはない。ご本家のオペラ公演と変わらない様な値段設定だ。

さて、当日。午後8時の開演だが、7時にはもう1階のロビー部分には人が集まっている。ご丁寧にプログラムやグッズ売りの女の子たちもコスチュームに身を包んで、客の求めに応じて一緒に写真に納まったりしている。いや、なかなかみんなかわいい。

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席は、天井桟敷の一階下。舞台はオケピットにふたをして作られているので、前の方は良く見えない。本舞台は鉄の緞帳が下りて、固く閉じられている。

開場後すぐに席に着き、客の入りを眺めていた。最初は「本当に全部入るのかな?」と訝しがったけれど、開演までにはほぼ埋まったから大したもの。

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プログラムは、モーツァルトの交響曲や協奏曲の楽章をピックアップし、合間にオペラのアリアやデュエットを入れるというもので、彼らの解説に依れば「18世紀には一般的であった『音楽アカデミー』と呼ばれるコンサート形式」だそうです。最後は「美しき青きドナウ」と「ラデツキー行進曲」で締める。演奏は、結論から言えば至極まとも。 ヴァイオリンは2プルトづつで少し弦が弱いとは思ったが、クラリネット協奏曲(2、3楽章)のソリストは良い音をしていたし、歌手も決して下手じゃない。

問題は観客。観光客ばかりなのはいいが、その態度はカジュアルというよりワイルド。演奏中の写真撮影なんて当たり前だし、ビデオまで回している。それもスマホでライトが点灯させたままでもお構いなし。我々の席の辺りは舞台が良く見えないこともあり、立ち上がって観る人間も続出。勿論、普段であれば頭に来るところだけど、あれだけ周りでワイルドにやられて、むしろ自分たちがマイノリティという立場に置かれると、呆気にとられるばかり。もっとも我々の席は一番下から2番目のカテゴリとはいえ 、絶対金額的にはかなり取られているので「もうちょっと、ちゃんと聞かせて」と後から思ったけれど。

 

最後の晩は、これはこじんまりと弦楽四重奏の演奏会へ。

「モーツァルトハウスのコンサート」と銘打っていて、これも場所に由緒がある。シュテファン寺院のすぐそばにあるドイツ騎士団(又はチュートン騎士団)修道会の中の小さい広間「サラ・テレナ」がその会場。この修道会の宿舎が「モーツァルトハウス」と呼ばれてはいるのだが、実は彼が滞在したのはたった6週間でしかない。(1781年)ただその時にザルツブルク大司教と決別することを決めたということで、有名な場所らしい。後年ブラームスもウィーンに出て来て間もない頃1年以上ここに滞在したというから、そちらの方が余程住んでいたことになる。

さて「サラ・テレナ」は、その修道会の建物の一隅に作られたドーム状の広間で、18世紀後半に作られたそうだが壁から天井に至るまで動植物やグロテスクな模様のフレスコ画に埋め尽くされていて一見の価値はある。

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演奏は「モーツァルト・アンサンブル・ウィーン」という名前を付けたカルテットだが、素性は良く判らない。メンバーは年配のバイオリンの女性2人とヴィオラの男性。ファースト・ヴァイオリンとヴィオラは同じ苗字(Nemeth)だったので、夫婦かも知れない。チェロの女性はまだかなり若い。このチェロが良く弾いていたと思う。

プログラムはモーツァルトのディベルティメント、ハイドン(伝)の有名な「セレナーデ」カルテット、モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」にドボルザークやメンデルスゾーンの有名な楽章を織り込んだもの。小さなドームなので、ひどく音が響いて最初は驚いたが、それはすぐになれた。

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客席は40人も入らないと思うが、この日は我々を入れて10人そこそこしか入っていなかった。プレーヤーにはちょっとかわいそう。実は予めこの演奏会を調べた時に非常にキャパの小さい会場だと判っていたので、わざわざネットで手数料まで払って買ったのだけれど、全くその必要はなかった。それはこの季節、どの演奏会も同じだろう。そもそもオペラを含めてクラシック音楽を見聞きしたい人は余り真夏のウィーンには近寄らないかも知れないが、もし行く機会があったら、街に着いてからゆっくり決めればいい。慌てて買っておいても、手数料を余計に取られるのがオチだ。

これまで、9月から5月までのクラシックのオンシーズンに何度となく訪れたウィーンだが、真夏に来たのは初めて。観光シーズンとしては、この季節の方がオンシーズンである訳で、いろいろ様子が判ってそれはそれで面白かった。

ザルツブルクからウィーンへの移動

ザルツブルクで音楽祭見物を終え、列車でウィーンに移動して観光を続けた。

話には聞いていたけれど、出発のザルツブルク中央駅も到着のウィーン西駅も大改修を終えて、すっかりきれいに明るくなった。

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乗った列車は Railjet という新しい特急。以前はザルツブルク~ウィーン間は3時間くらい掛かっていたと思うけれど、これだと2時間半足らずで着く。2等車の座席は左右2列の並びで、いわゆるコンパートメントの無いのは風情に欠けるけれど、社内の案内表示はLCDディスプレイで判り易いし、無料WiFiもあるので便利。

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ウィーンは、西駅の他にも、空港への直行便 City Aiport Train (CAT) の始発駅のウィーン・ミッテ駅もショッピングモールが隣接した大きな駅になったし、南駅から生まれ変わる中央駅ももうすぐ完成するらしい。空港も大拡張工事を終えて、大きな空港になって、ウィーンの交通機関の大きな拠点はすっかり一新したと言ってもいい。なんだか、すごい勢いだ。

ザルツブルク音楽祭 2014 -その4 歌劇「ドン・ジョバンニ」

かつて「祝祭小劇場」とされた会場は、2006年、モーツァルト生誕250周年に改修されて「モーツァルトのための劇場」(Haus für Mozart)となった。大劇場が出来る1960年まではここが正に「祝祭劇場」だったという。大劇場が裏の岩山をくり抜いて作られたそうだが、モーツァルトのための劇場は岩山の前に横に作られている。入口は大劇場と横並びになっているので、外からはそれと判らない。

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今夜の席は、下手2階のバルコニー席2列目。一番安いカテゴリ-の席。(抽選なので仕方ない) 舞台に近いところなので、舞台の左端は見えない。その代わり、オーケストラ・ピットは良く見える。舞台が近いので、見える限りは歌手たちも良く見える。

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それにしても、随分とドラマチックな「ドン・ジョバンニ」だった。

演出のスヴェン=エリック・ベクトルフは、演劇の俳優兼演出家で、ザルツブルク音楽祭(実は演劇と音楽のフェスティバル)の演劇部門の監督を務めているという人。おそらくそのせいだろう、歌手たちは声は勿論、容姿も含めて魅力的にそれぞれのキャラクターを演じている。

何と言っても、ドン・ジョバンニ役のイルデブランド・ダルカンジェロに凄味がある。徹底的な色悪ぶりがむしろ痛快。ここまで際立つドン・ジョバンニの役作りはこれまで見たことがない。

メインの女性歌手3人もとても魅力的。ドンナ・アンナ役のレネッケ・ルイテンはとてもドラマチックな声をしている。エルヴィラ役のアネット・フリッシュとツェルリーナ役のヴァレンティナ・ナフォルニータはどちらもまだ20歳代だが、素晴らしい出来だろう。エルヴィラのドン・ジョバンニへの愛憎半ばする深情けぶりも、ツェルリーナのうぶな男好きする様子も、素直にドラマとして目と耳に入って来る。

普通は冴えない道化役のレポレッロも、今回のルカ・ピサローニが演じると実は隠れた二枚目だ。ダルカンジェロのドン・ジョバンニと並ぶと、ピサローニのレポレッロの方が背が高くて格好が良い。それを丸メガネを掛けて道化役となるのだが、2幕目でドン・ジョバンニに成りすますところで無理がない。

さすがにこんな風に、声も容姿もはまったキャストを組むというのは、どこのオペラハウスでも出来るというものじゃないだろうね。

舞台装置は、終始ホテルのロビーの様な設定だ。だから男女の逢瀬もあるし、結婚式もある。食事(最後の騎士団長との夕食)も出来る。良く考えたものだ。

さて、普通は最後に地獄に落ちて舞台から消えてしまうドン・ジョバンニだが、今回は消えない。これ以上は、ネタばらしになるので書きませんが...

今回の指揮は、エッシェンバッハ。もう70歳台の半ばだけれど、颯爽とオケをドライブしまくっていた。

休憩時間にロビーで、指揮者のドゥダメルを見かけた。握手位したかったが、関係者らしい人たち5、6人が囲んでいて割り込めなかった。残念。

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これで、今回予定していたザルツブルク音楽祭の3つの演目を鑑賞し終えた。いやいや、本当に来て良かった。先輩に「夏のヨーロッパに行こうよ」と誘われて、安直に発想したザルツブルク音楽祭だったけれど、噂に違わず素晴らしかった。残りの人生、せめてあと一度くらいは来たいものです。

Monday, 18 August 2014

 

WOLFGANG A. MOZART / DON GIOVANNI

Dramma giocoso in two acts, K. 527
Libretto by Lorenzo Da Ponte

 

Christoph Eschenbach, Conductor
Sven-Eric Bechtolf, Director
Rolf Glittenberg, Sets
Marianne Glittenberg, Costumes

 

Lenneke Ruiten, Donna Anna
Anett Fritsch, Donna Elvira
Valentina Nafornita, Zerlina
Ildebrando D’Arcangelo, Don Giovanni
Luca Pisaroni, Leporello
Tomasz Konieczny, Il Commendatore