私の歌姫

もう来週は引越し。そして週末には日本に向けて発ちます。 ということで、何かと身辺あわただしい。

家具の粗方はご近所のヴァイオリン弾き(かつてはヴィオラ弾き)に纏めて引き取って貰えることになったので、ひと安心なのですが、その他の細々とした雑事が結構面倒です。それに付けても、こちらに来る引越しの時にも思ったことなのですが、こんな時には傍らにボヤく相手、突っ込んでくれる相手が欲しいものですね。(こんなところで、プチ告白しても始まりませんが。) 「ひとり、始末良く暮らす」 これが僕の取敢えずの目標なのですが、これがなかなか難しい。
さて、という訳でブログにアップする様なネタもゆとりも無く過ごして来たこの1週間ですが、昨日夕食の後に聴くともなく、大貫妙子の新譜を聴いて、それがとても心に響いてしまいました。
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大貫妙子、「私の歌姫」。高校の終わりの頃から、聞き始めてもう30年になります。最初の頃は、若干無機的にさえ響くと思っていた彼女の歌声ですが、年を経て歌い方も変化しました。今、とても丁寧に歌う彼女の歌は、どんなに気分の落ち込んだ時でも安らぎを与えてくれるとっておきの音楽です。(僕にそんな風に作用してくれるのは、もうひとつレオポルト・ウラッハのクラリネットです。)決して甘過ぎる事はなく、凛としているけれど、温もりがある。

彼女は、いわゆるシンガー&ソングライターですから、リリースされている多くは自作曲ですが(勿論、好きな歌はいくつでも挙げられます)、夕べ聴いたのは女性シンガーのカバー曲を集めたオムニバス・アルバム。彼女がカバーしたのは、オフコースの「やさしさにさよなら」と、MISIAの「名前のない空を見上げて」の2曲でした。

このアルバムに寄せての彼女のコメント:

同じアプローチでは、わざわざカバーをする必要はないのです。ですから自分の歌として今まで積み重ねてきた経験をもとに、新たな気持ちで向き合ってみました。

当り前の事を言っている様だけれど、この2曲を聴いていると、それが何を意味しているのか(どんなに深い事なのか)良く判る気がします。

ご本人は、歌や見掛けの繊細そうなイメージとは裏腹に、アフリカや南極を旅したり、しゃべる声もどちらかといえば低い、逞しい人の様です。繊細なモノを作り続けるこの人は(それも30年以上もバリバリの現役で!)、先ずクリエータであるということを教えてくれる、それも彼女のファンで有り続ける理由のひとつです。