20年前の東欧の旅

何だかもう梅雨に入ったみたい。今日は、相当鬱陶しい天気だ。

さて、知人のブログでコメントの応酬

といっても物騒な話ではなくて、その知人が昔し(もう20年前!)にツアーで一緒に巡った東欧の話を載せたので、それに反応して思わずコメントしたら、同じツアーに参加した他のメンバーがまたコメントをして、しばし昔語りに花が咲いてしまった、という話。

思えば、今回のウィーン〜ブダペスト旅行を含め、あの辺りに繰り返し行く様になったのもその20年前の旅が起点。89年暮れから90年の新年に掛けて、ウィーン〜プラハ〜ブダペストを回った。89年はベルリンの壁が崩れて、チェコでは「ビロード革命」により民主政権が発足した。ちょうどその12月に新大統領(劇作家のハヴェル氏)が誕生したばかりだった。

僕たちのツアーはその大晦日にプラハにいたのだが、街は凄いお祭り騒ぎ。そして翌日の元旦の夜には、オペラハウスでハヴェル新大統領と居合わせる事になった。勿論、隣合せということではなく、大統領は舞台右手すぐの貴賓席で、こちらは1階最前列。誕生したばかりの新大統領に観客の歓呼の声は大きく、大統領も度々貴賓席から身を乗り出してそれに応えるのだが、一番近い最前列の席には僕たち日本人が並んで手を振っていた。ちょっと場違いな気がしないでもなかったが、今から思えば歴史の転回点に居合わせたんだな、と思う。

東欧は開放されたばかりだったが、それゆえに西欧との貨幣価値の差が露骨に表に出たタイミングでもあった。ホテルなどは元々外貨獲得の為に「旅行者用料金」が設定されていて決して安くはなかったが、街では「ドル(米)の威力」は凄かった。プラハでは、とても眺めの良い丘の中腹の瀟洒なレストランでフルコースのランチを食べて、現地貨の代りに米ドルのキャッシュで払ったら、ひとり当り3ドルくらいで済んでしまった、という事があった。今ではもうあり得ないだろう。(今もあるそのレストランのウェブサイトで調べたら、今同じ様なメニューを食べたら、500コルナ(=3,000円近く)くらいするらしい!)

さて、その知人とはその後も何度か一緒に旅行した。90年代前半に僕がアメリカに居た時には遊びに来て貰い、一緒にタングルウッド音楽祭に行ったり(ハイティンクドボルザークの交響曲を小気味良く振っていた)、別の時には冬以外のウィーン(9月)に初めて行ってその明るさに驚いた。確かその時は、ウィーンフィルムーティの振るシューマンの交響曲が聴けた。

今の「道楽」も、その辺りの一連の旅行で病み付きになったのだ。