昭和の藝人

昭和の藝人 千夜一夜 (文春新書)

昭和の藝人 千夜一夜 (文春新書)


僕は昭和34年生まれなので、昭和のど真ん中に生まれその半分近くを生きたことになる。昭和34年から今までの時間を向こう側に振り返ると、明治になってしまう。当り前なのだが、ちょっと不思議な感じ。30歳近くまでは昭和だったから、性格も趣味もほぼ昭和の時代に出来上がっている訳だ。

この本は昭和の時代に活躍して(と言い切れるメジャーな人ばかりではないのだが)、既に物故した芸人(いわゆるお笑い芸人の範囲に留まらない)を取り上げた評伝。登場する88人のうち、僕の知っている人(名前と顔が一致する)は48人。著者の矢野誠一は、著名な演芸評論家だから、選んだ人々は落語をはじめとする演芸界の人が多い。元は「ちょっといい話」ものだから、長いもので3〜4ページ、短ければ1ページ余り。穿ち過ぎと思えなくないところもあるが、それでもなかなか面白い。

このところ、高峰秀子に関する本を何冊か読んでいるが、彼女の項はこういう風に結ばれている。

数あるこの国の婦人の自伝の中で白眉をなす『わたしの渡世日記』に代表される、名エッセイスト高峰秀子の文章は、彼女の畏敬していた川口松太郎のそれと同じく、なまじの学校教育に汚染されていないところに最大の魅力がある。おのが柄に即して、いたずらに情念におもねることのない醒めた視線に支えられていて、それはそのままこのひとが時代や社会に対峙してきた姿勢に通じるものだ。

これは池波正太郎にも通じる話。

ボードヴィリアンの早野凡平は、その飄々とした芸風が好きだったが、最近見掛けないと思っていたら、もう20年も前に死んでいる。享年50歳というから、もう僕の方が歳を取ってしまった。志ん朝も死んでからもう10年経つし。

自分が当り前に好きだった人やものの事を語ると自然と昔話になってゆく。それが「歳を取る」ということなんだろうね。