ケッヘルのこと

モーツァルトの作品番号で有名なケッヘルのことを書いた本の話。もう1年も前に出ている本なので、今更ながらの話題なのだが、私はつい最近になってようやく見つけて読んだので。

モーツァルトを「造った」男─ケッヘルと同時代のウィーン (講談社現代新書)

モーツァルトを「造った」男─ケッヘルと同時代のウィーン (講談社現代新書)


考えてみれば、ケッヘルというのは随分と耳に馴染んだ名前だけれど、ついぞどういう人物なのかは知らずにいた。きっとどこかの音楽学者なのだろうくらいに思っていたが、実は音楽の専門家ではなく、ハプスブルフ王室に連なる貴族の子女の家庭教師を務め、後には自身も貴族に叙せられたという19世紀の人。その人が趣味として、鉱物学、植物学、そして音楽に大きな功績を残したという話。

40台の前半にはもう引退して、趣味を中心に80歳近くまで生きた。手掛けた分野に共通するのは「分類」というスキル。随分と几帳面な人であったらしい。音楽については、ピアノとチェロをこなし作曲もして、ウィーン楽友協会の副総裁を務め、ブラームスと交友もあったというから、いわゆるディレッタントとしては本物だ。

著者は、ケッヘルの生きた19世紀という時代が各分野の専問性/専問家が確立し、ディレッタンティズムが衰退しつつあった時代であったと説く。また戯曲の「アマデウス」よろしく、モーツァルトの天才に対して、ケッヘルの凡庸を対比させようともする。「そんな時代の中で、凡庸の人ケッヘルは偉大な業績を残した」という構図にしたい節があるが、果たしてそうなのだろうかと、疑問に思う。

落日のハプスブルク帝国の残照の中で、ディレッタントとして幸せな人生を送り得た最後の世代、というのは後世からみればその通りだとしても、少くとも本人にしてみれば、人々から尊敬を受ける人物であり、趣味の分野でも認められたー流の教養人である、という矜持があっただろう。別に自分の凡庸を呪う、ということはなかったのではないか。そのプライドと几帳面さ故に、モーツァルトの作品分類や、その他の地質学や音楽学上の仕事が今に残っているのだろう。

そんな風に型に嵌めようとするところがいささか気になるが、ケッヘルの人生を知る上では、貴重な一冊には違いない。