荒井由実、そして林美雄のこと。

今日も北京は晴れ。同じ寒いのでも、ヨーロッパの冬の様に暗くないのは救い。とはいえ、昼過ぎに出掛けようかとホテルを出たけれど、風が強くて早々にUターン。情無い話ですけど。

さて、今日は北京とは全く関係無い話。このブログを北京で再開する前に、本当はこの話を書きたかった。

10日余り前に、BS2で「MASTER TAPE 〜荒井由実ひこうき雲」の秘密を探る〜」という番組があった。37年前のユーミンのデビューアルバム「ひこうき雲」のマスターテープをプレイバックしながら当時の関係者が回顧するという構成。その名の通り、マスターテープを題材にしているので、トラック別に再生するのが面白い。例えば細野晴臣がベースばかりでなくガットギターを巧みに弾いているのを聴かせてくれる。彼曰く「キャラメルママが一番脂の乗っていた時期」の演奏なのだ。

中でも、一番認識を新たにしたのはユーミンの声。彼女の声はその不安定さから、当時から今に至るまでネガティブな評価も多い。彼女自身番組の中で「歌手としてのこだわりは無い」と言っていたし、僕も「荒井由実時代のユーミンの曲を一番上手く歌えるのは山本潤子」というのが持論。

でも、マスターテープから抜き出した彼女のボーカルトラックにはハッとさせられた。苦心の末に辿り着いたというノンヴィヴラートの少し硬い歌声は、若いナイーブさを秘めて心を打つ。やはり70年代のユーミンの曲は彼女の声の魅力に結びついているものが多い。

あの頃、僕達はあのナイーブさに惹かれた。いつ彼女の曲に出会ったのかを辿って行くと、僕の場合、林美雄というひとに至る。TBSのアナウンサーで70年代の前半に木曜日深夜の「パックインミュージック第2部」を担当していた(「ナチ・チャコ」の後の時間)。確か高校受験の勉強を始めて、いっぱしに「深夜放送族」を気取り出した頃だった。彼はその極めて端正な美声に似合わず、今なら「サブカル」ともいうべき領域の日本映画、演劇、演芸、音楽などに精通した趣味人だった。そんな彼が番組の中で推していた女性歌手が石川セリであり、山崎ハコであり、荒井由実だった。こう並べてみると、当時のユーミンが「ナイーブ系」としてとらえていたことが判る。いずれにしても、彼のお陰で僕はユーミンの事をデビューの頃から知ることになる。

それからしばらく、僕にとって林美雄はずっと気になる人だった。彼と同じ大学/学部に入ったのだが、入る時にはそれほど意識はしなかったけれど「林美雄の後輩になった」と、後になってちょっと感慨を覚えた。大学に入ってから、彼が何かの折りに大学に講演に来たことがあって(確か日本映画の話)、生のお姿見たさに行ったこともある。

ラジオを中心に名前を冠した番組もあったし、それなりに知られた存在だったと思うが、アナウンサーとしての正統性を示す様に、TBSのステーションコールも担当していた事があった筈だ。

そんな彼も2002年の夏、癌で58歳で逝った。それまでしばらく忘れていたので、いきなり訃報と共に久し振りに名前を聞いてポカンとした。振り返ってみれば、思春期から青年期に掛けて影響を受けた人の一人であったことは間違い無い。

結局「ひこうき雲」にまつわる番組が、林美雄のことまで一気に思い出させてくれた。