オペラを待ちながら

ホテルにチェックインした後は2時間ほどうたた寝をして、それからシャワーを浴びていよいよ街へ出る。4時を少し回ったところだけれど、もうすっかり夕闇が迫っている。空は晴れていて、タ映えが美しい。この週末の東京は大分冷え込んでいる様だが、おそらくこちらの方が少し暖かいかもしれない。f:id:butcher59:20140111143318j:plain何はさておき、オペラハウスの向かいにあるボックスオフィスで、予約してあったチケットをピックアップする。これはウィーンに着いた日のルーティン。

今日の開演時間は7時半で、それまでに食事をする時間は十分にあるけれど、まともに食べてしまうと睡魔に襲われるのは目に見えているので、これもいつもの様にオペラハウスの裏手にあるソーセージスタンドで小腹を満たす。何とこのスタンドまで改装されて綺麗になって、中で切盛りするおじさんたちも、小洒落た制服に身を包んでいる。これは少々旅情に欠けるよね。
その後は開演時間を待って、辺りをぶらぶら散歩する。さすがに寒いのでアルコールを入れたくなるが、我慢ガマン。f:id:butcher59:20140111143425j:plain

ウィーンに着きました!

f:id:butcher59:20140110204830j:plainさて、今日からまたウィーン旅行🎶

2011年11月以来、ほぼ2年振り。

実は去年の10月に計画していたけれど、結局仕事の都合でドタキャン。それでも航空券がこの3月まで有効なので思い切ってやって来た。3連休に金曜日を追加して、木曜日の深夜出発〜火曜日の早朝帰着というチョットとした弾丸ツアー。

それにしても、こういう時に限ってドタバタするもので、年明けは仕事始めの月曜日深夜に出発してシンガポール〜バンコクと周り、木曜日朝に羽田に帰って来るという出張が年末に急に決まった。という訳で、木曜日は朝海外出張から帰って、昼間仕事をして、また深夜にヨーロッパに発つという慌ただしさ。ようやくウィーンまで辿りついて疲労困憊、かと思いきや、やっぱり遊びに来たという開放感の方が優るのか、存外元気。

今日からの3日間で、二つのオペラ(シュターツオパーの「愛の妙薬」「ドンジョバンニ」)と、ウィーンフィルの定期演奏会(ムジークフェライン)に行きます。

ところで、ウィーン空港に着いたら驚いた。ターミナルがすっかり新しくなっている。前のターミナルはちょっと懐かしい感じだったけれど、新しい方は勿論現代的で大きくなっているんだけれど、ウィーンらしくミニマリスムやモノトーンな感じで落ち着いていて品がある。さすがですね。

ケッヘルのこと

モーツァルトの作品番号で有名なケッヘルのことを書いた本の話。もう1年も前に出ている本なので、今更ながらの話題なのだが、私はつい最近になってようやく見つけて読んだので。

モーツァルトを「造った」男─ケッヘルと同時代のウィーン (講談社現代新書)

モーツァルトを「造った」男─ケッヘルと同時代のウィーン (講談社現代新書)


考えてみれば、ケッヘルというのは随分と耳に馴染んだ名前だけれど、ついぞどういう人物なのかは知らずにいた。きっとどこかの音楽学者なのだろうくらいに思っていたが、実は音楽の専門家ではなく、ハプスブルフ王室に連なる貴族の子女の家庭教師を務め、後には自身も貴族に叙せられたという19世紀の人。その人が趣味として、鉱物学、植物学、そして音楽に大きな功績を残したという話。

40台の前半にはもう引退して、趣味を中心に80歳近くまで生きた。手掛けた分野に共通するのは「分類」というスキル。随分と几帳面な人であったらしい。音楽については、ピアノとチェロをこなし作曲もして、ウィーン楽友協会の副総裁を務め、ブラームスと交友もあったというから、いわゆるディレッタントとしては本物だ。

著者は、ケッヘルの生きた19世紀という時代が各分野の専問性/専問家が確立し、ディレッタンティズムが衰退しつつあった時代であったと説く。また戯曲の「アマデウス」よろしく、モーツァルトの天才に対して、ケッヘルの凡庸を対比させようともする。「そんな時代の中で、凡庸の人ケッヘルは偉大な業績を残した」という構図にしたい節があるが、果たしてそうなのだろうかと、疑問に思う。

落日のハプスブルク帝国の残照の中で、ディレッタントとして幸せな人生を送り得た最後の世代、というのは後世からみればその通りだとしても、少くとも本人にしてみれば、人々から尊敬を受ける人物であり、趣味の分野でも認められたー流の教養人である、という矜持があっただろう。別に自分の凡庸を呪う、ということはなかったのではないか。そのプライドと几帳面さ故に、モーツァルトの作品分類や、その他の地質学や音楽学上の仕事が今に残っているのだろう。

そんな風に型に嵌めようとするところがいささか気になるが、ケッヘルの人生を知る上では、貴重な一冊には違いない。

おせちを作る

三ヶ日は良い日和でしたね。

毎年正月の2日には実家に親戚が集まる。この数年は、その席にお節をいくつか作って持って行くのが恒例になっている。

最初の年に作り始めたのが、黒豆と栗きんとん。それから煮〆が加わる様になり、今年は鴨ロースに挑戦した。

基本的には煮物中心で、具材は別々に煮上げてゆく。面倒がらずに手間をかけて、と行きたいところだが、だし取りはパックに頼っているのでまだ若干手抜き。やはりだし取りからやらなくてはね。それでも自分で作る分甘さの加減も調整出来るし、食材も吟味出来るので、上手く出来れば楽しいものだ。

材料を切り揃えて、若干の下拵えをして、あとはシンプルに煮炊きをするだけ。それでも着々と出来上がっていくのが楽しい。黒豆の仕込みが30日の夜から始まって、大晦日はほぼ1日台所に籠り切りだ。食材の買い出しを入れればほぼ二日掛かる仕事になる。

年に一度のことだから、余り目先を変えることに走らないで、オーソドックスなものを作るのが良いと思う。

クリスマスに鴨鍋

この前の日曜日は、人を招いて初めて自宅で鴨鍋をやった。

鴨と言っても、実際には合鴨。鍋つゆは、濃縮の白だしをベースに味をみながら酒、味醂、醤油を適当に足して、という好い加減なものだが、つゆごと具を取ってゆず胡椒を効かせてたべるというやり方。鴨鍋にゆず胡椒を使うというのは、以前勤務先がお茶の水(神田駿河台)にあった頃、近くの神田連雀町にあった小料理屋で覚えたもの。そこのつゆは、もう少し甘め濃いめだった様な気もする。ゆず胡椒は今でこそ東京でもポピュラーになっているが、初めて口にした20年以上前はまだマイナーだったと思う。

締めは蕎麦で「鴨南蛮」とシャレたかったが、その頃には遠に肉は無くなっていた。まぁ、つゆにだしは出ているので「鴨南蛮」の鴨ヌキ。肉屋のおじさんに「4人でどのくらい要るかな?」と相談したら「まぁ、ひとり100gで十分でしょう」というので、少し多めに600g買って来たのだが、あっけなく片付いてしまった。皆若い連中だったし、鴨鍋が物珍しいこともあったのだろう。

デザートには、このところ何回か試している「タルトタタン」を作ったが、これは今少し研究要。それからゲストのひとりのお手持ちのティラミス。これもお手製で、ラムとコアントローがかなり効いていて超おとなの味でした。

BGMには、例の Tune In でサンフランシスコの KOIT に合わせて、ひたすらクリスマスソング。この局は、この季節にはクリスマスソングしか掛けないが、日本でも聴ける様になったのは嬉しい限り。

「クリスマスに鴨鍋」勿論悪くありません。

◆まだ、鍋が始まってませんね…

It's Christmas time in the city.

この季節にヨーロッパに来ると「クリスマス・マーケット」が見られる。

ウィーンでも街のあちこちに定番の三角屋根の小屋が立ち並び、実にいろいろなものを売っている。季節らしいものといえばクリスマスツリー用のオーナメントとか、クリスマスリースとか。それから、クリスマス・マーケットといえば「グリューワイン」。いろいろなスパイスを入れて甘味を加えたホットワインを寒空の下で啜る。このあたりの風情は、日本の年の瀬に立つ市に似ているかも知れない。締飾りや縁起物の熊手を売っていたり、甘酒があったり。

そもそも正月もクリスマスも、冬至を過ぎて復活する太陽を祝うのが起源らしい。クリスマスツリーや松飾りに常緑の植物を用いるのも似ている。

まぁそんな文化人類学的な考察はさて置いても、クリスマス前の街は華やいで楽しいものだ。

◆ 一番大きくて賑やかな市庁舎前のマーケット

◆ 双子ミュージアム(美術史美術館と自然史博物館)の間の広場にもマーケットが出来ている。

◆ ケルントナー通り

◆ グラーベン通り:電飾はムジークフェラインのシャンデリアを型どっているのか

ブッチャーはカフェにいる

暖かい季節より寒い季節にウィーンを旅する方が、カフェの有難みがより身に染みる。

大体朝9時にはホテルを出るが、まずカフェでコーヒーを飲みながら何処に行こうか考える。最近はWiFiのあるカフェも多いので、こんな風にブログをアップしたり、メールをチェックしたりするとすぐに1時間位は経つ。それから外に出るが、おおよそ1時間外に居るとまたどこかのカフェに入る。

カフェで昼食を摂れば、オペラや演奏会の終演後の食事もカフェが殆ど。そもそもウィーンにカフェが無ければ、こんなに頻繁にこの街にひとり旅には来なかったと思う。

往復の飛行機の中で「探偵はBARにいる」という映画をやっていたが(大泉洋が意外にハードボイルド風で面白い)、その伝でいけば「ブッチャー(私)はCafeにいる」ということになる。今回もいくつかの店を初めて訪ねてみた。


◆Cafe Museum

Cafe Museum
Operngasse 7 - Karlsplatz
A-1010 Wien
Tel.: (01) 24 100-620
http://www.cafemuseum.at/en/cafe-museum/cafe-museum

かのアドルフ・ロースのデザインで19世紀末に店を開いた有名なカフェ。2009年に一旦店を閉じたが、経営者も変わって、改装してむしろオリジナルのデザインに戻して昨年の10月に再開したという。去年の9月にウィーンに来た時にも覗いてみたが、その時はまだ廃墟の様だった。

ロースのデザインの基本である装飾性を極力排したデザイン、ということだが、オフホワイトの漆喰壁/天井とテーブル、ワイン色のビロード張りの椅子とソファ、茶色い木製の腰板という組合せはシンプルで落ち着く。これでもう少し時代が付いてくれば申し分無い。

シュターツオパーからは200メートル。テアター・アン・デア・ウィーンからも300メートル余り。夜中の12時まで空いているので両劇場の終演後に使うのに丁度良い。


◆Cafe Sperl

Café Sperl
Gumpendorfer Straße 11
A - 1060 Wien
Tel: (01) 586 41 58
http://www.cafesperl.at/

MQ(ミュージアム・クォーター)から程近いが、繁華街のマリアヒルファー通りからは横に入ったいわば裏通りにあるし、リンク通りからは少し離れているので、観光客は余り多くない。ここは建物のコーナーに入口があって、店の中は建物の外壁に沿って左右に分かれている。これは Cafe Museum も同じ造り。

開店は1880年というから相当古い。オリジナルのインテリアかどうかは知らないが、なかなか時代が付いている感じだ。店の右手半分がビリーヤード台で占められていたが、これはオリジナルの設えだろう。Cafe Museum も古い写真で見ると同じ構造になっている。但し向こうは左右が逆。ウィーンで古いカフェの趣きに触れたいなら、この店は良いかも知れない。

ここもホットスポットになっていて、インターネットを無料で使えるのが嬉しい。新聞や雑誌を豊富に供して客を追い立てることをしなかったウィーンのカフェの伝統は、現代のフリー・インターネットにまっすぐに繋がっているんだと思う。